紅子の部屋

どんなに心が沈むことがあっても、このブログを書くことによってしっかりと前を向けるようになれたらいいな。 作詞作曲歌うたいの二児の母。

月を消す…地球の影

何度指導しても、虐める子、暴力を振るう子(加害者)がいて、その子のせいで学校に行けなくなる子(被害者)がいるとしたら…

 

その加害者を保健室登校なり、そういう子の教室を一纏めにして作るなり、加害者側が何らかの規制を受けるべきなんじゃないの?

なぜ被害者側が、怯えながら登校したり、学校にいけなくなったりという結果を強いられないといけないの?

高校からは停学や退学があるけど、義務教育課程では、余程の事をしない限り、鑑別所や少年院といった保護観察所には送られない。

大きな事件さえ犯さなければ、どんなに人の心を傷つけても、何度暴力を奮っても、「反省してます。次から気を付けます」という言葉だけで、痛くも痒くも無い教師の軽い指導を受けるだけで、また平然と学校生活を送れる訳なんでしょ?

不登校により出席日数が減ったり、授業を受けられなくなったり、ストレスにより精神の病を患ったり、最悪命を落したり…
損をするのは全て被害者。

教師は悪いことをしても、昔の様に「叱る」という事をしなくなった。現代では、先生はコワイ存在ではもうない様です…

自分に都合が悪いから?目立つ生徒との良好な関係を壊したくないから?

それともただ、生徒が恐くて強く言えないの?

今も昔も日本では(世界もそうなのかな)学校の先生というのは、勉強+αその他全般の指導、育成すること=教育として担う事を任せられてる現場。

そんな金八先生のような事が出来て、親は当たり前だと思ってるんだと思う。

親は、学校で何かあると、全てを学校のせいにしたくなる気持ちはわかるけど、それは少し先生が気の毒だとも正直感じます。

だって、自分が教師だったらまず勉強だけで精一杯だろうし、全てに目を届かせたくても、そんな事出来る訳がない。

蜘蛛の目のように360度見渡せる眼球が8つあったとしても…無理でしょう。

だから、「勉強」と「生活指導」という分野に分けて、きちんと分担すべきなんじゃないかなと、我が子のトラブルを通して強く思いました。

息子の中学三年間。
残念ながら、暴力とトラブルが結局なくなることはありませんでした。

学校側は、学校側なりに配慮して下さっていたと思います。

でも、もうこれ以上息子に「がんばって学校に行け」とは言ってはいけないと思いました。
担任にはお子さんがいるので
「先生のお子さんがこの状況になった時、学校に行かせられますか?」
という問いかけに、担任は

「……。」

答えては頂けませんでした。

 

担任は、「毎日30分だけでも、勉強を教えにお伺いしてもいいですか?私にはそれくらいしか出来ないので…。」
と、言ってくれたので、少しは救われた気持ちです。

 

先日、ニュースでも教師の激務が取り上げられていました。
私が声を上げたところで、何も変わらないけれど、これ以上先生達の負担が増えないように、そして子供達が信頼できる教師との関係を築き上げられる現場体制になればいいなと思います。

 

義務教育とは「子供が教育を受けなければいけない義務」ではなく、「子供に教育を受けさせる義務」。

なのに、だとしたら、この不登校が存在する状態というは、その子に対して法律に反してるのではないでしょうか?

治安の良い日本という国に生まれたが故に、学校という地獄のせいで、大切な命を自ら失う子供が、いなくなりますように。

学校という小さな枠組みからはみ出たとしても、誰かに認められて守られたという記憶だけで、子供はちゃんと自分の力で生きていけるんじゃないかな(^-^)

全うに学校に通うことが出来た子、勉強、スポーツに励むことが出来た子、充実した学校生活が送れた子の親御さんには、甘い・育て方に問題があったんじゃないか、そんな風に感じる内容かもしれませんが、そんな意見はどーでもいいです。

私は子供のSOSにきちんと気付いて対応してあげられたと、自信を持とうと思います。

 

先日、息子が一眼レフで撮った皆既月食
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